お金が無い社会人の休日

部屋の模様替えに成功した今日、僕は今、ちょっと新鮮な気持ちで、似合いもしない洋楽とコークハイを飲みながら、ブログを書いている訳だが、特にまあなんて言うか、何かやりたい事もある訳でないので、仕方無しにブログにすがり付いてみた訳である。


そんな気持ちで書くブログは、もちろん何を書いていいかわからないので、この先書く文章はどうなるものかと、期待している訳じゃなくて、つまり「惰性」これに尽きる。


「惰性的文章」ってどんなの?って言うと、理系でも文系でもない僕には、全く理解、表現し難いいとも言い切れないが、「惰性的文章」を文章に表現するには、文章力に欠けていて、この中途半端さ加減がいかにも僕らしい。まあ、どうでもいいのだけれど。


といっても、文章に惰性を加える試みはなかなかに難しいと、今になって後悔した。とりあえずブログに向かった今日夕方、書く目的無しに、書く文章は、方向性も見えなければ、オチも無く終わりそうである。勢いに任せて「惰性的文章」を題材にしたのだが、そもそも惰性≠勢いだと思うので、その時点で間違った選択である事は間違いない。


一応、書いている以上は、何らかの意義を見出して、結果までもって行きたいのが、tainaka的心情ではあるが、すでに上記の通り、間違った選択をしてしまった為、意義も結果も見出せそうにない。でも今日の題材「惰性的文章」の観点から行けば、惰性でこのまま書き続ける事が意義になりそうである。


なんだかんだ書きながらながら、どうでもいい文章をここまで書けたのだから、理系でも文系でもない僕にとっては、頑張った方だと思う。この文章を読んでると、今中国で反日運動している人達は、惰性の2文字でどうでもいいや的になっちゃえば、「竹島」の一つや二つでいちいちデモとかしなくて済むのだから、余計なカロリー消費しなくていいのに。とか思ったりする。まあ逆に日本も日本で「竹島」の一つや二つあげちゃえばいいのに。とか思ったりする。つまり、どっちでもいいのだけれど。


結局「惰性的文章」について、自ら題してみたのだけれど、「惰性的文章」を考察する事無く終了。


いや、「惰性的文章」なんで、これが惰性的結果。