36才の日常

この日記を初めて書いたのは今から12年前。まだ世の中にソーシャルの文字が出回っていない時代に、当時暇でアレしかしてない友達がモテ要素の為に取り入れたこのブログを、同じく当時暇でモテたい思っていた私に紹介してくれたのが、このtainaka日記を書くきっかけとなった訳である。
時は過ぎ、すっかり30代も後半に差し掛かってしまったのであるが、たまたま一人の時間が取れた日に、何もやる事がなくて、何となく昔書いたこの日記を思い出し、ワインのつまみで過去に書いた日記をほじくり返していたところ、新鮮な刺身とちょうどよい塩梅の塩辛を食するが如く、でもそのつまみはワインに合わないミスマッチ感も漂わせながら、結局ワイン一本空けてしまっているのだから、このつまみは意外にもワインと合うのだなと、自分の中で納得する。
そんな若かりし頃に抱いた甘酸っぱい気持ちや妄想や焦燥感を全てひっくるめて現実世界に戻すと、すぐ目の前には生まれたばかりの次男の寝顔が飛び込んでくる。

『敬洋』

我が意志を継ぐ第一子こと隼慈の誕生から約5年、よもや20代前半の私には想像出来ない二人目の子供が今まさに目の前にいる。
こんな世知辛い世の中に産まれたのだから誰よりも大きな心で人を尊びながら人生を生き抜いて欲しいと願い名付けたのは半分。

もう半分は私が物心ついて野球を見始めてから好きだった野球選手の第一位である福王昭仁を抜き、今最もリスペクトするプロ野球選手もといスポーツと言うジャンルにおいて尊敬に値する「鈴木尚広」から取ったのが半分である。

プロ野球の厳しい世界の中で、長く活躍出来る選手はほんの一握りであるが、そんな中で生き抜く為に、野球選手の基本であるボールを打つ、ボールを捕る、ボールを投げる事を追い求めず、走るという基本動作を追求し、プロ生活で規定打席に到達したのは一度も無いにもかかわらず、現在プロ20年目を迎えている。
巨人には松井秀樹や高橋由伸といったスター選手が多い中で、自分をしっかり分析し、どうしたらプロ野球選手として生き残れるかを考え決断した鈴木尚広は野球人として、一つ年上の先輩として、尊敬してます。

敬洋が将来人生の岐路に立たされた時に、ビールを飲みながらこんな話が出来たら、お父さんは幸せだなと今から想像する毎日。